ぽれぽれ経済学

中国はなぜ経済大国になったのか

中国の経済成長 農業

中国は今や電気自動車生産で世界シェア第2位
スマホ出荷台数世界シェア第3位
宇宙開発・デジタル通貨にも力を入れて
経済発展を続けています。
中国がめざすのは「世界のリーダー」に
なることです。

けれど最近の中国の様子を見ていると
力によって現状を変えようとしているようで
世界のリーダーにはふさわしくありません。

20年ほど前までは中国が
世界のリーダーになるなんてことは
思いもよらなかったことでした。
しかし今ではもしかしたら、と
周囲に思わせるまでになってきました。

中国とのこれからを考えるためには
相手のことをよく知ることが大切です。
何も知らないでやみくもに不安になると
恐怖から怒りの感情に流れやすくなります。
そんな不幸なことが起きないよう
知識を増やしておきましょう。

ここでは、中国が経済発展の第一歩に
なった「農業改革」について解説します。

中国のお話でしたが、
日本の今の社会問題にもあてはまり
面白いですよ!ぜひごらんください。

近代化以前の中国

中国はイギリスの植民地から
日清戦争そして大国の侵略を受けて、
国内の混乱が長く続きました。
戦争が終わってから近代化に向けて
何度も挑戦しましたがことごとく失敗し
国内に富を貯めることができず
近代化が遅れます。

農家の収穫物は農家のもの

中国の近代化は農業改革から始まります。
それはある小さな農村からひっそりと
始まりました。

1976年毛沢東が亡くなって2年後の
1978年のこと、安徽(あんき)省にある
小さな村の農民が18人集まり
今後のことを話し合っていました。

小さなこの農村はその年大干ばつがあり
思うような収穫が上がらず、
食べるものがなく、みんな飢えていました。
そのころ中国では食料は配給制で
村人は政府が組織する「人民公社」からの
配給に頼っていましたが十分な量の配給では
ありませんでした。

自分が生きていくために、
そして餓死者を減らすためには
なによりも生産性を上げなければいけません。

当時は農業に必要な農機具や種もみ等
全てが人民公社から与えられ、
収穫のほぼ全てを公社と国に収める
という決まりでした。
その土地ももちろん自分のモノではなく
人民公社のものです。

小さな村では話し合いを重ねた結果、
村人だけの秘密の契約を結ぶことにします。
それは、「人民公社」の土地を自分たちで
区切って自主的に耕作します。
その畑でとれた収穫物は国と公社に渡す分を
除いたら、残った分はすべて自分の自由に
していいという密約です。

今の私たちが聞くと、
当たり前のように思いますが
当時の中国では「人民公社」の土地を
各自で分けて自分のモノにするのは
違法だったので大変危険なことでした。

18人の村人は一家の財産と命を担保にして
「労働請負契約書」をつくり
拇印を押し合います。

翌年は大豊作

この契約書を交わしあった18人の農家は
翌年は天候が安定し豊作でした。
どの農家も懸命に働いたおかげもあり
1979年の収穫量はなんと
1955年から1970年までの15年間と
同じ収穫量だったのです。

収穫量の一部を国と公社に
収めるルールは同じでしたが、
その余った分を自分たちの好きにして良い
というただそれだけの「あたりまえ」の
ルールだけでこれだけ収穫量に差が出たのです。

私は中国の人が、なにか特別に
なまけものだったり、手を抜きたがる
性質があったとは思いません。

きっと人は誰でも自分で1年間かけて
作った農作物を何の見返りもなく
奪われてしまうことが決まっていれば、
人は誰しも働こうとする意欲が失われる。
ということを現わしているのだと思います。

逆に作ったものが自分のモノになり
さらに収入に結び付けることができれば
働くことに前向きになり、収穫を上げようと
工夫していくものということが
はっきりとわかります。

鄧小平の目にとまる

そしてこの素晴らしい業績は
鄧小平も知るところとなり
この方法を認めたため全国に広まります。

そして1980年からこの方法をモデルとした
農業改革が進められました。
統計によると、1978年から2007年までに、
中国人一人当たり、
食糧は318㎏から380㎏
肉類は30㎏から51㎏
水産物は5㎏から36㎏に増加しました。
その結果、農村の貧困人口が
2億5000万人から1479万人に減ったのです。

おそらく同じ方法を試した集落は他にも
あったのだと思いますが、
秘密のままだったり、
公社に握りつぶされたりして
上層部に届くことはなかったのでしょう
鄧小平の改革するという流れにあっていたので
表に現れたのでしょう。

このように生産したものを自分のものに
していいということがこんなにも
収穫に差があるというのは驚きです。
「日本ではよく生産性が落ちているので
上げなければいけない」と言れます。
見返りとしての給料はともかくとして、
今までになかった新しいやり方を
受け入れる体制は整っているでしょうか?
あなたの職場はどうですか?

まとめ

中国の近代化への道の第一歩を見てきました。
農機具も何もかも配給され同じものを作り
作ったものは取り上げられてしまうことが
こんなにもやる気を失わせ、収穫量に差が
出ることが分かりました。

もちろんこのことが農村の問題が
すべて解決したわけではありません。
美化された美談に近いかもしれません。
とにかくがちがちの規則を緩めることが
政権を維持するためにも大切だと
首脳部が理解した出来事でした。

参考文献

農村を変えた三回の土地改革_China.org.cn
安徽省 - Wikipedia
そうだったのか!中国 池上彰

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