ぽれぽれ経済学

深圳とイノベーション

経済特区深圳

中国は2010年に日本を抜いて
世界2位のGDPをはじきだしてから
そのポジションを維持したままです。

そんな元気な中国ですが、
このところ多額の資金を武器にして、
台湾への圧力を強めたり、
南シナ海のサンゴ礁に人口島を造ったり、
強引な姿勢が各国の反発を招いています。

中国に多額な資金があるのは
世界を相手に稼いでいるためですが、
実は1970年代の中国は貧しく
世界の中で目立つ存在ではありませんでした。

しかしそれから50年という速さで
中国は世界でトップクラスの大国になります。

中国の人にしてみれば、
それはもしかしたら当然のこと
と考えているかもしれません。
なにしろ中国は1700年代まで
世界で一番裕福で技術も進んだ国でした。
だからそれが元に戻っただけだ
と考えてもなにもおかしくありません。

ここでは、一度は半植民地にまで
没落し国内の混乱を乗り越えて
再び世界でトップクラスの大国に返り咲いた
中国の歴史を工業を中心に詳しく解説します。

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鄧小平の取り組み

1960年頃の中国は
毛沢東の考えた政策の失敗や
「革命」という名の権力争いに
市民が巻き込まれ国は荒廃していました。
食べるものがなく餓死者が続出し
政治の腐敗と監視社会からの暴力が蔓延し
人々は不安な毎日を過ごしていました。
とても稼いだ富を貯められるような
状態ではありませんでした。

1976年に毛沢東が亡くなって
鄧小平の時代になると
国の方針が180度転換します。
鄧小平は疲弊しきった中国を立て直すため
まず独裁体制を改め、
経済の発展を阻害していた規制を緩めます。

鄧小平は、就任後こんな発言をしています。
「独裁者がいると、その人の発言が
絶対守るべきものになり、
我々は命令に従うだけになった。
これでは自分の頭でモノを考えられない。
我々は長年の独裁で思想が硬直化している、
自分の頭で考えるためにまず、
思想を開放しなければならない」

鄧小平はこのような考えを持って
よく政権内にいられたと思いますが、
ともかく鄧小平に変わって社会の構造は
一気に転換することになります。

経済特区で規制をなくした

鄧小平は経済を発展させるために「経済特区
という特別な地域をつくりました。

「経済特区」とは
国の決めた事業を起こすため
ある特定の地域だけ規制を緩めて
仕事をしやすい環境を整えた地域のことです。

「経済特区」を決めて規制を緩めるやり方は
日本でも盛んにおこなわれています。
北海道なら森林系、食品系の特区
関西にはイノベーション特区
栃木に再生可能エネルギー特区
埼玉に次世代自動車特区
富山に福祉系の特区
広島には医療系の特区
日本全国に宇宙事業系の特区など
たくさんの地域が指定されています。
総合特区一覧 (chisou.go.jp)

1970年代の中国は外国資本の企業が
中国で商売しようと思っても、
資本金100%の子会社を置くのは
禁止されていました。
外国企業が中国で事業を起こすときは
その資本金の51%は中国側が持つこと、
また経営者を中国人にすることなどの
厳しい規制があって手が出ませんでした。

しかし新しく設定された
深圳しんせん珠海しゆかい汕頭すわとう厦門あもい
経済特区の中なら、

  • 外国資本100%の子会社の設立OK
  • さまざまな税の優遇措置
  • 得た利益の国外送金をOK

といった優遇が受けられたので
多くの外国企業が人件費の安い中国に
魅力を感じ特区内に工場を建て始めました。

さびれた漁村だった深圳

4つの経済特区の中で
一番発展しているのは深圳です。
以前イギリス領だった香港には
もともと外国企業が多く進出していたため
香港のすぐ北にある深圳には
早くから多くの外国資本が始まります。

深圳は昔、人口数万人のさびれた漁村でした。
特区に指定され経済が活発になると
多くの人が流入し
今では人口が1700万人(2022年)の
高層ビルの立ち並ぶ大都市になりました。

深圳の工場の賃金は欧米に比べると
安かったのですが、それでも
中国国内で比べれば深圳の賃金は高く
それを求めて多くの人が深圳に集まりました。

イノベーションと深圳

深圳に工場が立ち並んだ時
その工場はほとんど香港の外国企業の
下請け工場でした。

けれど、今では中国の人自身に
知識と技術が積み上がり
自分たちで商品の設計、製造、組み立て、
出荷のすべてができるようになります。

深圳ではさらに成長を加速させるため
今では政府の支援も手厚くなっています。

  • 北京大学やアメリカ、イギリスの大学の研究機関の誘致
  • ベンチャー企業向けにオフィスを無償で提供する
  • 100憶人民元規模のファンドが用意され資金調達が容易

政府の支援もあって、
深圳に多くの優秀な若い起業家が集まり
活発な開発競争が行われています。

まとめ

中国の工業の発展の歴史について
見てきました。
長く独裁の続いた中国でしたが、
独裁者の死亡をきっかけにして
鄧小平という新しいトップが
近代化へ向けて政策を転換したおかげで
中国は世界でトップクラスの
経済成長をすることができました。

そして早くから植民地になっていた、
香港には欧米の企業が多数あったので、
そこを足掛かりにして中国は初めの一歩を
踏み出すことに成功しました。

今、深圳では「自動運転タクシー」
「デジタル通貨」「次世代スマホ」など
新しい商品開発が活発に行われています。

中国は政府主導で世界に通用する
イノベーションを起こそうとしています。
イノベーションを起こすためには、
あたらしい技術のアイデアだけでなく、
失敗をフォローすること
お金の支援
研究所を増やすなどの
政府の支援も欠かせません。

けれど、イノベーションを起こすには
もう一つ大切なことがあります。
それは「多様な考え方」を、
持つ人々が自由に意見を言い合うことです。
異なる経験を持つ人々が集まって
違った視点でモノを見ること、
違った価値観を持っている人々が自由に
意見を出し合うとき、
異なるアイデアや解決策が生まれやすく
イノベーションを促進されます。

世界で通用するイノベーションを
生み出すには多様な環境を
受け入れなければいけません。

いまだに規制の多い中国ですが
はたして中国はこれを乗り越えることが
できるのでしょうか?

参考文献

イノベーション先進都市・中国深圳の変遷に思うこと | 海外事情 | 日本貿易会月報オンライン (jftc.jp)
深センって何がすごいの?「中国のシリコンバレー」深セン(深圳)入門 | 日本企業の海外進出支援サイト ヤッパン号 (yappango.com)
そうだったのか!中国 池上彰
経済のしくみ ダーシー二・デイビット

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